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鉄原城山城

鉄原城山城 image

詳細情報

城山城は鉄原郡金化邑邑内里ソンジェ山(標高471m)に位置しているが、平康方面から鉄原・華川・淮陽への道を 大変有利な地点から監視・防御できる。『新増東国輿地勝覽』に城山城の記録があり、「県の北へ4里にある。 石を積み上げ、周囲が1,489尺、高さが4尺ある。」と記されている。また、日本の植民地時代以降は加藤山 城と呼ばれたという。この山城は、全体的に北が高く南が低くなっている。城壁の全長は982mで、高さは 一定ではないが、残存部分と埋没部分から7m前後だったのではないかと推定される。

城壁は一部区間を除いて大半が崩壊したが、西南側の城壁はかなり良好な状態で残っている。特に、西南側の門 跡とはじめとする周辺区間には高さ5m、長さ50m程度の城壁がきれいに残されている。城壁は自然石を研磨して使 ったり、城内で採石した城石を使ったが、現在城内の至るところに採石後に使った石材が残っている。一方、 東・西壁に中世日本の山城でよく見られる橫堀の痕跡がある。北壁の東端と西端の2ヵ所に外に突出した雉城 の痕跡が残っている。

城門跡は西南側の門跡と南側の門跡が残っており、このほか東壁や北壁などに門跡と推定されるものが3ヵ所ある。 一方、山城の主に北と南には礎と様々な瓦片が大量に散乱していて、建物があった跡と見られる。 城内のその他施設 としては、井戸の跡、城隍堂の跡、採石場などが見つかっている。城内では様々な瓦片や青磁・白磁などの磁器片、土器 ・陶器片など様々な種類の遺物が収拾された。この山城は築造方式や城内で収拾された遺物などを考えると、少なくて も統一新羅の時代にはすでに存在していた山城で、その後、後三国時代、高麗・朝鮮時代に修理が繰り返され使わ れていたと推定される。また、日本風の城郭構築方法である横掘の痕跡もあり、文禄の役で倭軍が駐屯した場所と 判断される山城。城壁が比較的よく残っており、韓国の山城や築城法の研究において学術的な価値が高い。

住所

江原 鉄原郡 金化邑 邑内里 山121 外