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遼東伯金應河将軍廟碑

遼東伯金應河将軍廟碑 image

詳細情報

遼東伯金應河将軍廟碑は、朝鮮時代の光海君のとき(1619)、明軍周辺の反乱を鎮圧するため、朝鮮 援軍の左営将に出征 し、その名を博した忠武公金應河将軍の武勲と忠節を讃えるため、粛宗9年(1683)に鉄原郡鉄原邑花地里郷校ゴル(前鉄原 府ソファジョン里イルボン山の下の駅村洞)

に立てられた記念碑。 花崗岩の石材を使い、正面を凝視した亀が彫刻された支え台に載せた、高さ250cm、幅98cm、 厚さ33cmの四面碑石で、将軍の一代記を顯宗10年(1669)6月に宋時烈(ソン・シヨル、号は尤庵)

(左議政)の文章と司憲府の持平の朴泰維(パク・テユ)の文章に、領議政の金寿恒(キム・スハン、 号は文谷)の書体字を加えて製作した。 当初は花地里郷校ゴル褒忠祠にあったが、朝鮮戦争で褒忠祠宇は焼失し、碑のみ残っ た。しかし、当時このまちの出身で陸軍第3軍司令官だったイ・セホ将軍が1974年2月司令部練兵場に移転・保護していたも のを、1984年4月3日鉄原の儒生や鉄原郡守の努力で元の位置から南へ2km離れたコガム山裾の鉄原邑花地里山1 -1番地に 奉安した。

住所

鉄原郡 鉄原邑 花地里 278番地(現在地 花地里 山1-1)