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東松邑磨崖仏像

東松邑磨崖仏像 image

詳細情報

金鶴山(947.3m)の麓に位置する磨崖仏像が製作された場所に、三重石塔と浮屠塔の構築を試みた遺物と寺址、 高麗初期のものと推定される瓦当が残っているが、ここの寺院や仏像、

石塔などの製作年代は文献に残っていないため未詳だが、金鶴山脈とつながっている宝蓋山(旧霊珠山)には新羅 時代(西暦647年)に創建された深源寺をはじめ、その後多くの寺院と庵が相次いで創建(石台庵、地蔵庵、聖住庵、 南庵、安養寺、ポッケ庵など)され、高麗、朝鮮時代を経て今日に至るまで金鶴山の山麓に多くの寺院と庵の跡 地が残っている。

磨崖仏像の周囲には、当時製作された遺物(三重石塔、2の浮屠塔の屋蓋石、瓦当)などから、約1,200㎡(400坪) の平坦な場所を選んで、古代の大きな寺院(高麗初期)があったと推定される。この如来像の磨崖仏像は、大き な自然石岩(花崗岩)を使って陰刻されたもので、穏やかな微笑みと裾を掴んだ法衣が両側に広がるような彫刻の 美は、新羅時代の技法と言える。 仏像の頭は、頭の形をした自然石を(現在)左側にやや斜めに載せた。磨崖 仏像の全高は3m、幅は2.5m、頭の高さは90cmの大きな石仏である。

現在、この跡地には石塔と浮屠の彫刻された遺物や1974年太古宗の女性信徒(ソン・ゲヨン)が弥勒庵を建て 修行した場所、長い歴史の中で信徒たちがお祈りを捧げた痕跡が今でも残っている。1984年6月2日江原道文 化財資料第33号に指定・管理されている。

住所

鉄原郡 東松邑 二坪里 山 142 番地