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鉄原忠烈祠址

鉄原忠烈祠址 image

詳細情報

洪命耉(ホン・ミョング)公は、朝鮮時代の宣祖29年(西暦1596年)8月、ホン・ソンイク(号はハムイ)の息子として京畿 の漣川に生まれ、23歳で科挙にパスした後、朝廷の主な内職と外職(慶尚道平安道観察使)を経験した文臣で、丙子胡乱の とき、金化のチントゴルで敵軍を迎えて激戦を繰り広げていたが、仁祖15年(西暦1637)1月28日42歳で、壮烈な戦死を遂 げ最後を迎えた護国の忠臣。

1636年丙子胡乱のとき、平安道観察使を務め、平安道兵馬節度使の柳琳(ユ・リム)将軍と手を組んで戦闘環境が良好な 金化五聖山(金化邑生昌里)のチントゴルに陣地を築き、義勇兵三百人と勤王兵約二千人を指揮、馬夫太と龍骨大 の大軍を撃退した。 戦いが激しいなか、部下の一人が逃げることを勧めたが、彼は「軍部が危機にさらされている のに、命など惜しくない。最後まで前進して刀が折れるまで戦い抜いて死ぬ」と語り、決戦を励まして殉死したこと から、国は彼に吏曹判書の地位と忠烈の諡号を与えた。

忠烈碑は朝鮮時代の仁祖23年(西暦1645年)5月に彼が戦死した金化邑生昌里(郷校ゴル)に柳琳将軍大捷碑と同じ型で 並んで(忠烈碑は右側、大捷碑は左側)立てられたが、高さ194㎝、上幅94㎝、下幅77㎝、平均厚さ20㎝で、4つ の礎と二重石段形式からなる花崗岩碑石。

住所

鉄原郡 葛末邑 土城里 1005番地